荒波の中に一本だけ立つジュマン灯台を見ると、「海の真ん中で、いったいどうやって建てたの?」と不思議になりますよね。
先に答えると、満潮時にはほぼ沈む岩礁へ船で渡り、海が穏やかで潮が引いた短い時間だけ作業し、岩を整えて石造りの土台と塔を少しずつ積み上げました。工事は1904年から1911年まで。完成後には揺れが見つかり、土台の拡張や鋼鉄ケーブルによる固定まで行われています。
この記事では、「船から石を運ぶだけで本当に建つの?」という疑問から、作業できる時間、建設の順番、完成後の補強、灯台守の暮らしまで、フランス政府と県公文書館の資料をもとにたどります。
- ジュマン灯台は海底から建てたのではなく、岩礁の上に築いた
- どうやって建てた?作業の流れを5段階で見る
- 資材も作業員も船で運んだの?
- なぜ7年もかかった?最大の敵は技術より「上陸できない時間」
- 急いでいた理由は、40万フランの遺贈に期限があったから
- 完成したのに揺れた?最初の大嵐で弱点が見つかった
- 最終的には約30メートルの鋼鉄ケーブルで岩盤へ固定した
- そもそも、なぜこんな危険な場所に建てたの?
- あの有名な大波の写真で、灯台守は無事だった?
- 今も使われている?高さ・光・電力の現在
- ジュマン灯台へ観光で行ける?内部見学はできない
- ジュマン灯台について残りやすい疑問
- まとめ:海が許す短い時間を積み重ね、岩と一体化させた
- 主な参照資料
ジュマン灯台は海底から建てたのではなく、岩礁の上に築いた
最初にイメージしておきたいのは、ジュマン灯台が海底からまっすぐ生えている建物ではないことです。
灯台が立つのは、フランス北西部ブルターニュ地方、ウェサン島の南西にあるアル・ガゼック(Ar Gazec)という岩礁。ブルトン語の名をフランス語にすると「La Jument(雌馬)」となり、これが灯台名の由来です。
ただし、普通の小島を想像すると少し違います。フランスの海洋行政機関DIRMは、この岩を「満潮時には完全に水没し、干潮時でもわずか4フィートほどしか現れない」と説明しています。4フィートは約1.2メートル。作業場になる平らな陸地が最初からあったわけではありません。
つまり建設の出発点は、潮が引いたときだけ姿を見せる、波に洗われる岩のてっぺんでした。そこへ作業員と道具、セメント、切り出した石材を船で運び、上陸できる瞬間を待って作業したのです。
場所はウェサン島から南西へ約2キロ。地図で見ると近そうですが、フロマン海峡の入口にあたり、強い潮流と荒天で知られる海域です。港から現場までの距離よりも、「船を岩へ無事に寄せられるか」が工事を左右しました。
公的資料で位置や外形を確認したい場合は、DIRMのジュマン灯台資料に現在の諸元と建設時の写真が掲載されています。
岩礁は水面の下にも続いていますが、工事に使える上面はごくわずかです。しかも潮位は同じ場所でも時刻によって変わります。岩が現れ始めてから資材を降ろし、作業し、再び水が上がる前に片づけて船へ戻るまでが一組。職人の速さだけでは延長できない締め切りが、干潮のたびに訪れました。
現代なら精密な気象予報や大型作業船を思い浮かべますが、着工は1904年。使える情報も設備も現在とは異なります。海を止めるのではなく、海の周期へ人間側が合わせることから工事が始まったのです。
どうやって建てた?作業の流れを5段階で見る

「岩の上に建てた」と分かっても、次に気になるのは具体的な手順でしょう。ジュマン灯台の公文書写真と石造灯台の構造から、工事の大きな流れは次のように整理できます。
1.海況と潮を読み、作業員が船で岩へ渡る
まず必要なのは、工事そのものよりも現場へ着くことでした。波が高ければ、小さな岩礁へ船を横付けできません。潮が満ちれば作業面も海に隠れます。
そのため、風、波、潮流、干潮の時刻が重なる短い好条件を待ち、作業船で近づきます。船を完全に固定できる港や桟橋があるわけではないので、人も資材も一度に運び込める量には限界がありました。
海が変われば、予定の途中でも引き上げなければなりません。陸上の工事のように「朝から夕方まで作業する」という前提が成立しない現場です。
2.岩の表面を削り、土台を置ける形にする
姿を現した岩は、建物を置ける平らな基礎ではありません。まず岩の凸凹を削り、石積みを受ける面をつくらなければなりませんでした。
この段階では、岩に取り付くための足場や、資材を持ち上げる簡単な設備も必要になります。しかし大きな設備を常設しても、次の大波で失われるおそれがある場所。小さく始め、岩と一体になる部分を固めながら作業領域を広げていったと考えると分かりやすいでしょう。
3.波を受け流す楕円形の土台をつくる
ジュマン灯台の下部は、細い塔がそのまま岩へ刺さった形ではありません。石造りの大きな基部が岩を覆い、その上に塔が立っています。DIRMはこの部分を、露出した石積みによる卵形の基部と説明しています。
丸みのある輪郭なら、平らな壁で波を正面から受けるより、水を左右へ逃がしやすくなります。同時に、狭い岩の上で塔の荷重を受ける面も確保できます。
最初から高い塔を急いで伸ばすのではなく、まず波と建物をつなぐ足元を築く。それが海上灯台の要でした。
4.切り石を船で運び、八角形の塔を積み上げる
土台ができると、その上へ石造りの塔を伸ばしていきます。完成した塔は八角形。下部の石積みは滑らかに仕上げられ、上部には石の表情が残っています。
石材は現場の小さな岩だけでまかなえないため、陸上で用意し、船で運ぶ必要があります。石だけではありません。モルタルの材料、工具、足場材、食料も必要です。現場へ運び込んだものを、当時の揚重設備で岩の上へ引き上げ、一段ずつ組みました。
フランス文化省の文化財データベースには、1906~1908年ごろの建設中の写真が残っています。完成形から想像するのではなく、石造りの塔が途中まで立ち上がった実際の姿を確認できる貴重な資料です。
八角形には、円に近い外形を石で組みやすい利点もあります。角の多い塔なら、風や波を一枚の広い壁だけで受けず、複数の面へ分けられます。もちろん形だけで耐えられるわけではありませんが、細長い四角い塔より、海上に置く石塔として筋の通った姿です。
塔が高くなると、下から上へ石を運ぶ距離も伸びます。上部の作業床は狭く、足場には強風も当たる場所。「一段できれば次も同じ」ではなく、高くなるほど揚重と作業場所の条件が変わる工事でした。
5.塔内を整え、最上部へ灯器を設置する
外側の塔が立てば終わり、ではありません。灯台として働くには、最上部の灯器、回転する光学装置、灯台守が上り下りする階段、居住や勤務に必要な室内設備が要ります。
ジュマン灯台の灯火が初めて点いたのは1911年10月15日。しかしフィニステール県公文書館によると、この時点ではまだ完全な完成ではなく、木工や床タイルなど一部の内装は残っていました。灯台守が必要な設備を十分に使えるまで、さらに約3年を要しています。
外から見える塔の完成と、人が暮らして運用できる灯台の完成には時間差があったということです。
資材も作業員も船で運んだの?
はい。ジュマン灯台には陸とつながる道路も橋もないため、建設資材と人員は海から運ぶしかありませんでした。
ただ、「船を着けて荷物を降ろせばよい」と考えると、現場の厳しさを見落とします。岩の周囲には強い流れがあり、船は波で上下します。一方、岩は動きません。両者の高さが一瞬ごとに変わる場所で、人や重い石を移すことになります。
さらに、岩へ上げた資材を置く場所も限られます。作業面をふさがず、波にさらわれないようにしながら、その日に使う分を扱わなければなりません。
建設が進んで土台が広がるほど、足場や資材置き場はつくりやすくなります。逆にいえば、最初の数年は「灯台を高くする」より、「次回の作業を少ししやすくする」ための工事が多かったはずです。
この積み重ねを想像すると、完成まで7年かかった理由が見えてきます。
なぜ7年もかかった?最大の敵は技術より「上陸できない時間」
高さ40メートルを超える石造建築なので、工事量そのものも大きいものです。しかし、公的資料が繰り返し挙げる障害は、強い潮流、潮の満ち引き、天候による現場への接近の難しさでした。
海が荒れれば一日作業できないだけでなく、何日も近づけないことがあります。ようやく上陸できても、潮が上がる前に撤収が必要。材料の到着、職人の人数、工程がそろっていても、海の条件だけは工事側で変えられません。
よく紹介される「最初の年に作業できたのは52時間」という数字も、この厳しさを表しています。ただし、この数字はフランス政府の概要ページには明記されていないため、この記事では補助資料として扱います。確実にいえるのは、県公文書館が「潮流と潮汐によって岩への接近が難しく、工程と期限の大きな障害になった」と記録していることです。
もし52時間を単純に8時間労働へ置き換えると、約6日半。もちろん実際の作業は均等ではありませんが、「1年間の工事が、陸上なら1週間にも満たないほどの時間へ圧縮される」感覚なら、進み方の遅さをつかみやすいでしょう。
しかも海上の工事は、途中まで組んだものを波から守る必要があります。次の好天まで残るように固定し、工具や設備を退避させる時間も含まれます。作業可能時間のすべてを石積みに使えたわけではありません。
急いでいた理由は、40万フランの遺贈に期限があったから
これほど難しい場所なら、20年かけて慎重に建てても不思議ではありません。それでもジュマン灯台は、1904年から1911年という短期間で点灯まで進みました。背景には、建設費を遺したシャルル=ウジェーヌ・ポトロンの条件があります。
当初、行政はこの岩礁に、灯りを載せた比較的小規模なコンクリート標識を建てる計画でした。ところが1904年3月、ポトロンが上質な材料と進んだ照明装置を備えた本格的な灯台のために40万フランを遺贈します。
県公文書館によれば、条件は死亡から6~7年以内に建設すること。守れなければ、遺贈金は海難救助組織へ渡る契約でした。そこで計画は、簡単な塔標から、人が勤務できる大きな石造灯台へ変更されます。
資金が増えた一方、期限も生まれました。アクセスだけで工事が止まる海で、建物の規模は大きくなり、完成日は動かしにくい。現場にとっては、恵みと重圧が同時に届いたことになります。
最初の点灯は、ポトロンの死から7年7か月後。遺言の期限には約7か月遅れましたが、遺贈金は返還されませんでした。
この経緯はフィニステール県公文書館のジュマン灯台解説で、計画変更から完成後の補強までまとめて確認できます。
完成したのに揺れた?最初の大嵐で弱点が見つかった
1911年10月に灯りが点いたなら、工事は成功して終わったように思えます。ところが本当の難所は、その後にもありました。
点灯から約2か月後の12月21~23日、強い嵐が灯台を襲います。県公文書館の記録では、建物が揺さぶられ、構造上の重大な弱点が明らかになりました。
問題は、土台の大きさと強さが十分でなかったこと。高い塔は上部にも大きな質量があり、波を受けるたびに根元へ力が集まります。見た目には立派な石塔でも、岩とのつながりが弱ければ、建物全体がわずかに動いてしまいます。
ジュマン灯台は1911年に点灯しましたが、構造として完成形へ到達したのはもっと後です。
まず基部を高く、広くし、塔の下部を鉄筋コンクリートで包む補強が行われました。この工事は1924年まで続きます。それでも監視は終わらず、約10年後にはさらに大胆な方法が採用されました。
最終的には約30メートルの鋼鉄ケーブルで岩盤へ固定した

1930年代、技術者たちは塔と岩を一体化するため、長い鋼鉄ケーブルを使いました。山岳地帯のダムを岩盤へ固定する方法から着想を得たとみられています。
県公文書館の説明では、使われたケーブルは約30メートル。灯台側から岩の深部へ穴を掘り、ケーブルを通して下端をコンクリートで定着させ、その後に張力をかけました。
置き石の重さだけで波へ耐えるのではなく、建物を岩盤へ引きつける発想です。テーブルの上に重い置物を載せるのではなく、長いボルトで天板ごと締める様子を想像すると近いでしょう。
公文書館には、鋼線の端をほどいて広げ、穴の中でモルタルへ定着しやすくする工程や、ジャッキで張力を加える装置の写真も残っています。単に「ワイヤーを巻いた」のではなく、岩の内部へ固定して初めて効く仕組みでした。
なお、ケーブルの本数を「3本」とする紹介が多く見られますが、県公文書館の本文は長さと施工法を中心に説明しており、公開ページの文章だけでは全配置を確定できません。確かな点と、広く伝わる説明を分けておくと混乱しにくいでしょう。
こうしてジュマン灯台は、石を積んだ塔から、岩礁と締結された構造物へ変わりました。建設開始から数えると、安定化まで約30年。海上建築は、灯りが点いた日だけでは完成を語れないのです。
そもそも、なぜこんな危険な場所に建てたの?
工事が難しいなら、ウェサン島の陸上に灯台を建てればよかったのでは、と感じるかもしれません。
ジュマン灯台の岩礁は、船にとって避けるべき危険そのものです。島の灯台だけでは、暗闇や霧の中で「どこまでが危険を避けられる通り道か」を十分に示せません。危険な地点の近くに灯りと信号があるからこそ、船は位置関係を判断できます。
フランス文化省の資料では、19世紀末にウェサン島とモレーヌ諸島周辺の航路標識を補う計画が進められた背景として、ヨーロッパでも交通量が多く危険な海域であったこと、1896年に客船ドラムンド・キャッスルが沈没し258人が亡くなったことを挙げています。
DIRMも、周辺で多数の海難が起きたため、1903年にウェサン島周辺を標識で守る海上工事の最初の対象として選ばれたと説明しています。
建てやすい場所ではなく、灯りが必要な場所を選んだ結果、最も建てにくい岩が現場になったわけです。
あの有名な大波の写真で、灯台守は無事だった?
ジュマン灯台を知ったきっかけが、塔を包む巨大な波の写真だった人も多いでしょう。1989年、写真家ジャン・ギシャールがヘリコプターから撮影した一連の写真です。
写真では、玄関に人影が見え、そのすぐ後ろを大波が覆っています。この人物は灯台守のテオドール・マロルン。ヘリコプターの音を聞き、救助か交代の便だと思って外を確かめたところ、波に気づいて中へ戻ったと伝えられています。
大切なのは、あの一枚が「灯台が今にも倒れそうな瞬間」ではなく、補強を重ねた後の建物が大西洋の波を受けている姿だという点です。
もちろん、写真だけで内部の揺れや守り手の恐怖までは分かりません。それでも、低い岩礁に建てた理由と、基部を広げ、ケーブルで固定した理由は直感的に伝わります。
ちなみに灯台は1991年に自動化され、常駐の灯台守はいなくなりました。現在は遠隔監視され、設備が故障した場合には予備機へ切り替わり、ブレストの管理拠点へ警報が届く仕組みです。
今も使われている?高さ・光・電力の現在
ジュマン灯台は歴史遺産として残るだけでなく、現在も航路標識として働いています。
DIRMが掲載する現在の主な仕様は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 全高 | 47.40メートル |
| 灯り | 赤色、12秒間に3回の群閃光 |
| 光の到達距離 | 10海里 |
| 塔の形 | 石造りの八角塔、卵形の石造基部 |
| 自動化 | 1991年 |
2015年には水銀槽を使う旧設備が撤去され、LED灯へ交換されました。2023年には太陽光パネルが設置され、日照不足に備える発電機を残しながら電力の仕組みも更新されています。
一方、波を受ける土台は今も手入れが必要です。2009年には基部のコンクリート約40平方メートルに損傷が見つかり、2010年に鉄筋と吹き付けコンクリートで補強。2023年にも基部上面のコンクリートが改修されました。
100年以上立っているのは、「昔の石造りが完璧だったから」だけではありません。弱点を見つけ、補強し、設備を更新し続けているからです。
ジュマン灯台へ観光で行ける?内部見学はできない
建て方を知ると、実物を近くで見たくなりますよね。しかしジュマン灯台は海上の岩礁にあり、一般向けの見学施設ではありません。フィニステール県公文書館も、内部は公開されていないと案内しています。
陸から眺める場合は、ウェサン島南西側が候補になります。ただし灯台は島から沖に離れており、天候や視界で見え方が変わります。双眼鏡や望遠レンズがあると輪郭を追いやすいでしょう。
海から眺める観光船については、運航時期や海況によってコースが変わるため、訪問時点の現地観光案内で確認するのが現実的です。灯台へ上陸できるという意味ではありません。
「あの大波を見たい」と思っても、荒天時の海は観光向きではありません。無理なく見られる条件で、岩の小ささと塔の高さの対比を確かめる方が、建設の難しさを実感できます。
ジュマン灯台について残りやすい疑問
海の中でコンクリートを固めたの?
海底へ型枠を沈め、すべてを水中で打設した建物ではありません。干潮時に現れる自然の岩を足場にし、その表面を整えて石造りの基部を築きました。完成後の補強では鉄筋コンクリートやモルタルも使われていますが、基本は岩礁の上へ石を積む工事です。
工事中、作業員は灯台に住んでいた?
建設初期は、そもそも住める塔がありません。作業員は船で現場へ渡り、海況が悪化する前に離れる必要がありました。塔が立った後も、1911年の点灯時点では内装が未完成。灯台守が必要な設備を整える工事は、その後も続きました。
クレーンは使った?
現代の大型海上クレーンを横付けしたわけではありません。建設写真では、塔の上や作業面に設けた当時の揚重設備を使い、船で届いた石材を持ち上げながら積んだ様子を確認できます。設備も作業場所も、塔の成長に合わせて変えていく必要がありました。
完成まで正確には何年?
着工は1904年、初点灯は1911年10月15日なので、一般には7年と説明されます。ただし内装はその後も約3年、基部などの補強は1924年まで、長い鋼鉄ケーブルによる安定化はさらに約10年後です。「灯りが点くまで7年、安定した現在の形になるまでは約30年」と分けると理解しやすいでしょう。
現在の灯台も波で揺れるの?
公開資料から、日常的な揺れの大きさを数字で断定することはできません。ただ、完成直後の嵐で弱点が判明し、基部の拡張、鉄筋コンクリートの被覆、岩盤へ届くケーブル固定が行われたことは確認できます。現在も基部を定期的に点検・補修しながら運用されています。
まとめ:海が許す短い時間を積み重ね、岩と一体化させた
ジュマン灯台の建て方を、最後に流れで振り返ります。
- 満潮時にほぼ沈むアル・ガゼック岩礁を建設地点に選んだ
- 船で人と資材を運び、穏やかな海と干潮が重なる時間だけ上陸した
- 岩を整え、波を受け流す卵形の石造基部をつくった
- その上へ八角形の石塔を少しずつ積み、1911年に初点灯した
- 完成直後の嵐で弱点が見つかり、基部を拡張・補強した
- さらに約30メートルの鋼鉄ケーブルを岩盤へ定着させた
特別な一日で一気に建てたのではなく、船が近づける短い時間を7年間積み重ねた。それが「どうやって建てたのか」への最も実感に近い答えです。
そして1911年の点灯は終点ではありませんでした。波に教えられた弱点を直し、塔と岩をケーブルで結び、100年以上にわたって補修を続けています。
巨大な波の写真をもう一度見ると、以前とは違って見えるかもしれません。波の中で耐える一本の塔の下には、わずかな干潮を待った作業、船で運ばれた無数の石、そして岩盤の奥まで届く補強が隠れています。
ジュマン灯台の姿が強く印象に残るのは、建物の高さだけが理由ではないのでしょう。海が岩を隠す時間には待ち、岩が現れた時間には手を動かし、完成後も波から届いた答えに合わせて造り直す。その長い対話そのものが、現在の一本の塔になっています。
